原体験

はじめに

新しい仕事を始めるにあたってこのブログを立ち上げたんだけど、noteがなかなか書きやすいのでちょっと個人的な閑話休題も書けそうな気がして。

人生も折り返しを過ぎると、色々ぶっ壊れてもう好きなこと遠慮なしにやっちゃおうという気になる人が多いらしく、意外にも自分もご多分に漏れなかった。

幼少期の記憶

自分の中では(たぶん思い違いな気もすると言う意味)人生の最初の記憶は茨戸公園という札幌から遠く離れた公園。少し大きくなって調べたらなぜこんな遠くに行ったんだろう?と。両親に車で連れられて広い公園でしばらく遊んだ記憶。

親に聞くと、2回ぐらい行っていて、当時1歳か2歳ぐらいだったとのことで覚えているわけがないとのこと。なのでまるっと勘違いなのかもしれないが。不思議なことにその前後の記憶はほぼなくて、次の記憶は多分3歳ぐらい。

ずいぶん広い公園で、遊具がポツポツとかなり間隔があって、しかも数もそんなになかった。球体の回る大型の鉄格子のヤツ。あれの中に入って遊んだ。あとは地べたに座ってちょっと休んで。

こんなに遠くまで来て広いは広いけどなにもない公園。なんでこんな所に来たんだろう?と何年か経って思った。

そしていまだに残っているこのなんてことない記憶。別になんの思い入れも印象もないのにかなり鮮明に覚えていることが不思議でしょうがない。

なんのオチもない話。

次の記憶は預けられてから

その後の記憶は自分勝手に3歳ぐらいまで飛ぶ。ちょうど3歳ぐらいから札幌と留萌の二重生活が始まって、自分の中では留萌での生活をメインとして捉えていて、自分の人生は留萌からスタートしたみたいな意識を持っている。

私は4人家族の末っ子で、両親は共働きだったこともあって、なぜか私だけ、3歳ぐらいから定期的に母の実家がある留萌に預けられることになった。3~5歳までのペースは全く覚えていないが、たぶん1/4〜1/3ぐらい留萌にいたんだろうか?たぶんそんなに長くはなかったんだろうけど、それにしても両親と離れて祖父母と暮らす日々はとてつもなく長く感じていたので、記憶的には札幌の幼稚園に入るまではほぼ留萌にいたような感覚でいる。

5歳から小学校低学年の間も夏、冬、春休みはすべて留萌にいて、中学高校になっても、しょっちゅう当たり前の里帰りとして留萌に戻ったりしていた。

母は、私がかなり大人になるまでこのことをなんとも思っていなかったらしい。しかし、私がなぜか家族に愛着がないことや、札幌ではなく留萌を故郷のように感じていること、留萌の親族に対しての方が家族のような認識を持っている、などなどの私の様子を、それこそ何十年もかけて、まずいことをしたと思い始めたようで、今ではとても後悔しているとたまにこぼす。

そんなことを言われてしまうと、いつも困る。別に本当になんとも思っていないし、それはそれとして普通に親には感謝しかない。まぁでもわざわざ一生懸命にフォローさうるのも違和感があるので、軽く流しているにとどまっている。

故郷は留萌

というわけで茨戸公園で一瞬始まってすぐ消えた人生の記憶の次のシーンは一気に祖父母との生活になる。

留萌といってもかなりはずれのど田舎で留萌市の中心まで歩いてはいけない。感覚的にはほとんど網走刑務所にいきなり連れてこられたような感じ。左隣の家までの距離は十数メートルで右隣には家はない。雪が積もると玄関から道路までの道を作ってくれるまでは外に出れない。

たぶん預けられて初日の話だったかな?お気に入りの仮面ライダーのプリント入りのパンツを荷物に入れてもらえなくて、それがないと寝れないと散々泣いた。あまりに困ったおばあちゃんがわざわざ市内まで買いに行った。今思うと大変だっただろうな。で、買ってきてもらったものを見ると、絵がなんか違くてまたギャン泣きした。ニセモンだったわけね。逆によくあったなと。

そんなこんなで始まった留萌での生活はそれはもう原体験というかなんというか。おおげさに人生観とか、美意識とかの基盤とやらがあるのなら、やっぱり留萌の風景が自分の血肉に染み付いてる感覚がある。

基本的に一人でいることが多かったので(今思うととんでもなく危険だった気がする)いろんなところ、いろんな季節を見て回った。

祖父母は日中仕事に出るので、日替わりでいろんな家や部屋に預けられ一人で過ごした。夜は3人でいるんだけど、おばあちゃんもおじいちゃんもとても無口な人で、ほとんどしゃべらずに過ごした。おばあちゃんがたまにはあやしてくれたっけな。へんな子守唄を少し覚えている。でも一人寝が本当にキツかった。よくふとんの中で泣いてた。この夜にふとんの中で泣く癖は札幌の生活でもよくあった。

当時の留萌の風景はそれは素晴らしかった。といっても春夏の期間限定だけど。見渡す限りの大自然。目の前の花やバッタやカエルから遠く見える稜線まで、一番近いものと一番遠いものがセットで写真のように頭にたくさん残っている。

匂いの記憶も結構強い。大自然では草木の匂いはかなり強い。家の中も、あぜ道も、家のすぐ裏にあった線路ぞいも、もちろん風呂やトイレも、札幌では嗅げないにおいだらけだった。あ、トイレはもちろん汲み取り式で、風呂は薪を焚べる五右衛門風呂。薪はおじいちゃんの係でさすがにやらせてもらえなかった。

留萌の記憶はキリがないので今日はこの辺で。また気が向いたら続く。

ちなみにTOPの写真は留萌ではない。どこだったっけ?


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